やめろワシはホモじゃない
「ねえ、普通ってなんだと思う?」
そいつはかじかんだ手を、白い息で暖めながら俺に聞いてきた。
俺は少し考えながら、寒さで呂律が回らない舌で少し声を張って答える。
「勉強とか部活を頑張ったり、恋愛を楽しんだりとかそんなもんだろ」
まあそんなところだよね、と納得しつつ、ようやく指が動くようになったのか、口元から手を離した。
「じゃあさ、こういうのって普通なのかな」
口元から離れた手が、俺の手を掴む。
振り払おうとしたが、その手は指の一本一本を俺の指に蛇のように絡ませ、いわゆる『恋人繋ぎ』を形成する。
細い指だな、と思った。
手のひらから伝わるひんやりとした、それでいて血が通っていることを感じさせる独特な感触。
まるで━━━
「周りの人たちに、どんな目で見られてるんだろうね」
「そりゃあお熱い高校生カップルだとでも思われてるんだろうさ」
「それって普通ってことだよね」
残念ながら普通ではない。
こいつと出会って8年。俺はこの幼馴染のことを誰よりも知っている。
「普通、男同士で手は握らない」
握られた手が、少し緩んだ気がした。
昔から、こいつに関わると碌なことがなかった気がする。
見てくれだけで女と勘違いしたナンパに絡まれたことは数知れず。
『そういう関係』だと勘違いされているせいで女子からナマモノのネタにされる。
よって女子との浮ついたイベントも一切無し。
エトセトラエトセトラ。
こいつと幼馴染なんぞでなければ、もう少し薔薇色の学生生活が俺を待っていたに違いない。
「でも男同士のそういう関係を薔薇っていうよね」
「うるさい」
かったるい授業を机とキスをして乗り切った昼休みに、俺達は弁当を突きながらくだらない問答を繰り広げる。
「大体さ、ボクの何が気に入らないのさ」
「胸に手を当てて考えてみろ」
きっと色んな事が理解できると思うから。
「えっち」
「ムカついたからソーセージ1本寄越せ」
両手に胸を当てている隙に、奴の弁当からいい焼き加減のものを抜き取った。
少し長めのショートカットに狭い肩幅、くりっとした目にトドメとばかりに長いまつ毛。
化粧でもさせれば、それなりになるのではというほどの容姿をこの男は持っている。
確かにこんな人間から好意を寄せられれば、大体のやつは悪い気はしないだろう。
「キミは本当にひどいことをするよね」
たかがソーセージ1本取られたぐらいでなんだというのか。
「それ、結構高いやつなんだからね」
「道理で美味いワケだな」
冷めているというのに肉汁が溢れ出ている。
「まあいいよ、家にまだ置いてあるし。それに━━━」
見てくれだけは一級品の幼馴染は、舐めるように俺を見て。
「━━━まずは胃袋から掴めっていうよね」
仮にこいつが女でも、俺は気に入らないんじゃないだろうか。
自我というものが芽生え始め、多感な時期になった人間は他者という存在をあらゆる形で認識し始める。
俺の場合は恋という、おそらく地球上で最もロマンチックな形でそれが発露した。
忘れもしない、小学生のあの時━━━
「初対面のボクを女の子と勘違いしたんだよね」
「トラウマを蒸し返すな」
退屈な授業を終えた放課後、俺達は昔話に花を咲かせていた。
初めて出会ったのは近所の公園だったか。
日陰になっているベンチで本を読んでいる少女を見て、俺の心はときめいたものだった。
勇気を出して話しかけ、何を読んでいるのか、どこの学校なのかといった当たり障りのない会話から、夏休みの間はここでよく本を読んでいるということ、学校こそ違えど、近所に住んでいるということを聞き出した。
朝起きて、ラジオ体操を終えたら公園のベンチで彼女に会う。
小学3年生の俺の夏休みは、ほぼ毎日がその繰り返しだった。
意気投合する『異性』の友達。
初恋というものを知り、少し大人になったというか、ませた男子小学生がそういった存在に取る行動など、一つしか存在しない。
告白だ。
ハナッタレ小僧から見事カッコつけへとレベルアップした俺は、一世一代の大勝負に打って出た。
キミのことが好きだ、と。
今思い出しても赤面モノのド直球な告白だが、小学生だったのだから許してほしい。
緊張で震える膝でなんとか立ち、ばっくんばっくん高鳴る心臓の音を鼓膜に感じながら、相手の返事を待つ。
振られたらこれから会えなくなるのではないか、もしそうなら友達のままでお願いできないだろうか、そもそもなぜ自分はこんな大それたことを━━━
ネガティブな方向へシフトしていく俺の思考を遮ったのは、目の前にいる意中の相手の言葉だった。
『嬉しい』と。
『ボクもキミのことが好きだよ』と。
その場で飛び上がりたいくらいの、百点満点の返事によって俺の初恋は成就した。
はずだったのだが。
『男の子同士ってよくわかんないけど』
なんとか堪えていた俺の膝が崩れ落ちたことは、想像に難くない。
「お前が男だと見抜けなかった自分を殴りたい」
墓まで持っていきたい昔話を思い出しながら、せめて記憶から消せないものかと机にぐりぐりと額を押し付ける。
「あれがキミのトラウマになったってボクを悪者扱いするけどさ、キミだってボクに与えた影響は計り知れないんだよ?」
嘘をつけ。
あのカミングアウトから、ショックで寝込んだ俺のことなどいざ知らず、ケロッとした顔で遊びに来たクセに。
あのね、とため息をつきながら、俺に言い聞かせるような口調でこう言った。
「ボクはどっちでもイケるクチだよ」
俺はとんでもない変態をこの世に作り出してしまったらしい。
「俺は今、お前のことをヤバいやつだって思ったよ」
「褒めても何も出ないよ?」
何も褒めていないのだが。
「わっかんないかなぁ。つまりね━━━」
目の前の変態は、頼まれてもいないのに自分の正当性を語り始めた。
「例えばキミがこのクラスの女の子に好意を持たれるとするでしょ」
すごく光栄というか、ありがたいことである。
「その時のキミの気持ちを考えてみてよ」
「まあ、嬉しいし、自分に自信が持てるよな」
少なからずその女の子には、俺という存在が他の男子よりも魅力的に見えた、ということである。
「それだよ」
いつになく興奮した様子で俺を指さして続ける。
「女の子に間違われて告白される度に味わえる全能感がたまらないんだよね」
色々と歪み過ぎて性癖の知恵の輪みたいになっていた友人を、俺は憐れみの目で見ることしかできなかった。
「キミって明日は何か用事ある?」
学校からの帰り道、不意にそう聞いてきた。
「一日中ゲームするという崇高な目的が」
「暇なんだね」
俺に選択権はないのだろうか。
「代わりにもっと面白いとこに連れてってあげるからさ」
そういうと財布からおもむろに二枚の紙切れを取り出し、俺に見せつけてきた。
世界で最も有名なネズミさんがプリントされたカラフルな紙が、ひらひらと俺の目の前でちらついている。
「ネズミーランドか」
「そう、夢の国にご招待されたんだよ」
誇らしげに胸を張りながら、チケットに当選した経緯を語ってくるが、そんなことには1ミリも興味はなかった。
聞きたいことはただひとつである。
「お前と二人で行くの?」
「この流れで他の人と行こうとしたらスネ夫もびっくりだよ」
流石にのび太くんも、スネ夫と二人きりで遊園地になど行きたくないと思うのだが。
「男と二人で遊園地に行きたくないんだが」
率直な意見を述べてみた。
「8時に現地集合ね」
俺には拒否権もなかったらしい。
現在7時30分。
律儀に俺は夢の国の入り口付近で相方を待っていた。
反故にするという選択も取れたのだろうが、あんなやつでも幼馴染で親友といってもいい存在である。
その友情を吐いて捨てるほど、俺は冷たい人間ではない。
生来、遅刻というものが嫌いであるし、あいつより遅く来るのも腹が立つので余裕を持って出発したのだが、流石に30分前は早すぎただろうか。
近くのコンビニでコーヒーでも買ってくるかと暇つぶしに弄っていたスマホから目を離す。
目の前の10mと少し先。
ふと、ウチの高校の制服を着た生徒が目に留まる。
セーターにブレザーを着込み、その寒さ対策を水泡に帰すような膝上のスカート丈。
ショートカットの黒髪は、カラフルなヘアピンによって片耳が露わになるようアレンジされている。
如何にも『遊園地にやってきた女子高校生』そのものである。
しかし、何かおかしい。
この女子高生は一人なのである。
友達同士で遊園地にやってきた様子をお互いに写真に撮り、SNSに投稿することで、自分たちがこの場所で輝いていた証を刻み付ける。
そうして、その友情をより確固たるものとする。
JKという存在はそういった習性を持つ生き物ではなかったか。
そんな思考を巡らせていると、彼女と目が合った。
どきりと、一瞬心臓が跳ねる。
かくれんぼをしているときに、鬼に見つかってしまったような、違うような、形容し難い感覚。
ぴったり当てはまるような言葉を見つける前に、目の前の相手は嬉しそうな表情を見せて俺の近くへと駆け寄ってきた。
「あぁ、よかった。ごめんね、ちょっとそこのコンビニで化粧を直してたんだよ」
待ったよね、と申し訳なさそうにする『そいつ』を見て、俺は呆然とするしかなかった。
幼馴染が、女装をして、やってきた。
「どういう風の吹き回しだ?」
膨大な情報をとりあえずは頭の中で整理し終えたので、まずは目の前の相手と応答してみる。
「キミが男二人で遊園地に行きたくないって言ってたじゃない」
確かにそう言った。
「だからボクがこうして女の子役に徹してるワケだよ」
あ、私って言ったほうがいい?と付け加えて聞いてくる。
「お前の家からここまでその格好で来たのか?」
だとすると相当な変態である。
「やだなぁ、流石のボクもそこまで変態さんじゃないよ」
コンビニで着替えてきたのだろう、少し安心した。
「女子の制服なんて持ってないから近所の坂本さん家に借りにいってからだよ」
度し難い変態がそこにいた。
「でも似合ってるでしょ」
くるくると回りながら、俺に女装姿を見せつけてくる。
元の素材がいいのと、化粧のせいもあるのだろう。
悔しいが、誠に認めたくはないが非常に似合っていた。
どこからどう見てもボーイッシュな女の子のそれである。
「しかしクラスメイトとはいえよく坂本さんが貸してくれたな」
近所のよしみでこいつと結構仲がいいのは知っていたが。
「昔よく彼女に女の子の服とか着せられてたからね」
今のは聞かなかったことにしておこう。
「坂本さんいい人だしな」
クラスの女子の相談をよく聞いている、委員長のような人である。
「そうだね」
自身の着ている制服をつまみ、ちらちらと観察している。
「洗わずに返してくれていいって。いい人だよね」
坂本さんの思惑が分かったような気がしたが、それ以上考えないでおいた。
単刀直入に言おう。
楽しかった。
あいつが女の子の恰好をしているからとかそんなものを抜きにして、久しぶりに心の底から楽しめた。
360度どこを見渡しても普段の生活にはない景色、ここでしか味わえないアトラクション。
アトラクションの待ち時間に退屈しなかったのは、隣にちょうどいい話し相手がいたからだろう。
一人でも楽しめただろうが、ここまでの満足感はきっと━━━
「これからパレード始まるんだって。いいとこ取っちゃおうよ」
思考を放棄し、ベンチから立ち上がる。
辺りはすっかり暗くなり、建物や木はイルミネーションが点灯していた。
「今日はどうだった?楽しかった?」
分かりきったことを聞いてくる。
「おかげさまで」
こいつが調子に乗らないようにぶっきらぼうに答えた。
素直じゃないなぁ、と隣に並んで歩いていた幼馴染が、少しペースを早め、俺よりも先に出る。
「惚れたかい?」
振り向いて、イルミネーションをバックにそう聞いてきた。
無駄に絵になっている。
ムカついたので、少し驚かせてやろうか。
近づいて、手を取る。
恋人繋ぎなんぞしてやらない。
ただ普通に手を握ってやる。
「言っておくが、これは友愛だ」
目の前の相手は、少し動揺していたが、すぐにいつもの俺を小馬鹿にしたような表情を取り繕った。
「まぁ、及第点かな」
そのまま、パレードへ向かう。
握った手が、少し強くなった気がした。