SFSS(すこしもふしぎではないショートショート)
「キミってさ、パラレルワールドって信じる?」
不意に先輩が、本の整理をしていた俺に問いかけてきた。
パラレルワールド、並行世界、バタフライエフェクト。
そんな単語が頭の中を飛び交い、ひとつの言葉となって俺の口から吐き出される。
「パラレルワールドが存在したら、きっと先輩は俺に仕事を押し付けない真面目で優しくて素敵な人なんでしょうね。」
冷やかな口調と視線で先輩を刺してみたが、当の本人はけらけらと笑って受付でくつろいでいる。
俺と先輩は図書委員である。
元々本を読むのは好きではあったし、『図書委員の仕事があるから』と塾を合法的にサボれるのが魅力的だったので立候補した。
━━━━もしあの時に戻れるのならば、俺は手を挙げている自分を殴ってでも図書委員になることを阻止しているだろう。
図書委員になることが決まり、先輩に挨拶ぐらいはしておくべきだろうと図書室の扉を開けた。
図書室で顔合わせをするなり、先輩はこう言った。
「昼休みは毎日ここで受付をすること。貸し出し管理のカードはこれ。週一の委員会にも参加してね?あ、それと━━━」
そして先輩は、とんでもないことを言い放った。
「私はここに座ってるだけだから、あとはよろしくね?」
俺の奴隷生活の始まりだった。
「俺はね、飽き飽きしてるんですよ」
放課後、返却された本を元の位置に戻しながら、俺は先輩に抗議した。
事前に先輩に言われていたことに加えて、定期的な本棚の整理、新しい書籍の追加など、課された仕事は俺一人で成し遂げるには膨大な時間がかかる。
我慢の限界が来ていた。
今日こそは俺がどれだけ不満を募らせているかを先輩に訴えて、ブラック企業もびっくりなこの環境を改善してもらうのだ。
「たった一人の後輩が、一生懸命に仕事をしてる姿を見て心が痛まないんですか?」
「キミが頑張っている姿を見ると元気が出てくるね」
「まだ整理してない本がこんなに残ってるんですよ」
「それだけキミの雄姿を眺められるってことだね」
「俺に何か言うことは?」
「頑張ってね」
褒め言葉しか使われていないのにちっとも嬉しくなかった。
「先輩は日本語が堪能ですね」
「でしょう?難しい表現を自在に使うことが言葉に詳しいと思っている人がいるみたいだけど、老若男女問わず理解できる言葉遣いこそが真に言葉を理解していると思うの」
先輩は行間が読めなかったらしい。
「でもパラレルワールドですか。もし移動方法なんてものがあったら行ってみたいですね」
やっと今日の分の仕事が終わり、一息ついたのでパラレルワールド物の小説を読みながら、先輩と先程の話題について話していた。
「あれ、意外だね。私という女がいながら何か不満でも?」
「むしろ不満しかないんですけど」
『それに━━━』
そう言いかけて、出てくる言葉を飲み込んだ。
特に言う必要もないだろう。
きっと先輩は気にしないだろうが、俺自身が気まずくなってしまう。
少し話題を逸らすため、すぐに会話を続ける。
「もしかしたら別世界の俺はもっと面白そうなことをしてるかもしれないじゃないですか」
「例えば?」
「スポーツ万能で女子からモテモテだったり頭脳明晰で飛び級してたり」
「キミはたまに小学生みたいなことを言うよね」
「初心忘るべからずって言いますし」
「一回辞書を引いてみてね」
先輩にツッコまれたのは癪だが、なんとか話題を逸らすことに成功した。
突然、受付に置いていた先輩のスマホが振動する。
「ちょっとごめんね」
そう言いながら先輩はスマホを取って電話に出た。
「うん、今終わったとこ━━━━校門のとこ━━━━うん、分かった━━━━それじゃ━━━━」
通話が終わったのか先輩はこっちに来ると鞄を持って、今日はお開きだと俺に伝えてきた。
「それじゃ今日はお疲れ。また明日ね」
そういうと先輩は手を振ってぱたぱたと廊下を通って階段を下りていく。
『それに、そんなこと言ってると彼氏さんがそっぽ向きますよ』
俺が言いかけて止めた言葉が脳裏を過ぎる。
「別になんとも思ってねえっての」
俺しかいなくなった図書室で、そう呟いた。
一目惚れだった。
図書委員になって、顔合わせのときに先輩と初めて会ったとき、一瞬何も言えなくなった。
顔、髪型、声、口調、仕草。
とにかく、何もかもがストライクだった。
先輩からあのような無理難題を押し付けられても、強く断れなかったのは惚れた弱みである。
放課後、仕事が終わった後の彼女との雑談が何よりの楽しみとなっていた。
そうやって、それ以上の関係を望まなかったから罰が当たったのだろう。
二週間ほど前に先輩から、告白されて付き合い始めたという話を聞かされた。
先輩は楽しそうにしていたし、祝福以外何を言うことがあるだろうか。
彼女との雑談は相変わらず楽しいし、これからもこの関係は変わらない。
だというのに、もやもやする。
そのもやもやをずっと抱えながら、今日も図書委員の活動をこなしている。
昨日と同じように返却された本を戻していると、いつものように先輩が俺に話しかけてきた。
「キミってさ、パラレルワールドって信じる?」
一瞬、どきりとした。
昨日と同じ質問を先輩が投げかけてきたのだ。
もしかすると、昨日をループしているのではないだろうか。
確認をすべく、先輩に応答する。
「また同じ質問ですか?」
「昨日は結局信じるか信じないか聞けなかったしね」
どうやら違ったようだ。
「まあ、あればいいなってぐらいですよ」
「信じるってことでいいんだ」
「ええ、まあ」
今日の先輩はやけに白黒はっきりさせたがる気分らしい。
「今日はやけに聞いてきますね。どうしたんですか」
気になったのでそのまま疑問を投げかけてみる。
「まあね。ちょっとこの話をしようかなって思ってたんだよ」
先輩はそう前置きすると、話し始めた。
「もし━━━━」
その二文字が聞こえた瞬間、虫の知らせというものなのか、先輩が何を言うのか分かった気がした。
「━━━━もしね、パラレルワールドを100コ作ったとして、そのうちの半分は」
これは恐らく、先輩の。
「キミと付き合ってた」
━━━━俺に対するお別れなのだ。
「今回俺はそのもう半分を引いたってことですか」
「うん、そういうこと」
「じゃあ、仕方ないですね」
先輩と俺は笑っていた。
当然だ。これは二人の新しいスタートなのだから。
先輩は先輩の、俺は俺の。
それぞれ新しい道へ進む一歩を今踏み出そうとしている。
先輩のスマホがまた振動する。
きっと、あの彼氏からの呼び出しだろう。
「いってらっしゃい」
自分でもびっくりするくらい清々しい声が出た。
失恋したときの人間はこうも吹っ切れるらしい。
「いってきます」
そう言うと、先輩は駆けていった。
また昨日のように、俺だけの図書室になり、俺は窓の外を見た。
サッカー部や野球部が大きな声を出して練習している。
吹奏楽部の管楽器の音が聞こえる。
「夏休み、どうすっかなあ」
海やプールにいって涼みに行こうか。
山で川遊びもいいかもしれない。
家でひたすらゲームも悪くない。
まあ、なんにせよ。
「彼女、欲しいよなぁ」
そんな言葉が、なまぬるい風に乗って飛んで行った。